はいふり批評29 バンク活用、この手に限る

 映像には言語学における"単語"のようなユニットの概念はないと言ってよいでしょう。言語における文法のようなものを映像に当てはめるわけにはいきません。

――安藤紘平「映像プロフェッショナル入門」

今までのはいふり批評で注目してきたのは主にシナリオの部分、文学的な側面に関してであった。しかし、はいふりはアニメという映像作品である。当然、その映像としての構成についても言及する必要があるだろう。

ということで、今回は映像の観点からはいふりを見ていく。かつて映画はセリフがなく映像だけでストーリーを表現していた。今日においてもその手法は生きており、そのテクニックがはいふりでいかに使われているかを紐解いていきたい。

映画的なテクニックの観点から

実写映画とアニメはその作り方からして異なるが、画面構成やショット、アングルなど類似点も多くある。そのため、アニメに対して実写映画で使われるテクニックを元に分析するのは有効な手段になり得る*1

では、はいふりでどのように実写映画的な手法が用いられているのか、そしてその効果について見ていきたい。

スローモーション

スローモーションは本来短い時間の出来事を引き延ばして表現する手法である。これによって、その部分のドラマ性を高めることができる*2

はいふりでは第一話の岬明乃と宗谷ましろの出会いのシーンでこのスローモーションが使われる。

第一話、岬明乃と宗谷ましろの出会い

このシーンで高めたいドラマ性は議論の余地なくこの2人の出会いに関してである。スローモーションによってこの2人の出会いは強調され、この物語の重要人物であることを自然と理解することができるようになっている。

超クローズアップ

超クローズアップとは目、唇など一部に近づいて撮影し、観客に強烈な印象を残すための手法である。ヒッチコックは観客にショックと恐怖を与えるためにこの手法を多用している*3

はいふりは第一話でこの超クローズアップが使用されている。

第一話、古庄教官の超クローズアップ

岬明乃たちが入学し海洋実習に出発する前に担当教官の古庄からの話がある。ここで古庄教官のセリフは以下のとおりである。

(前略)辛いこともあるでしょうが、「穏やかな海は良い船乗りを育てない」という言葉があります。仲間と助け合い、厳しい天候にも耐え、荒い波を越えたときに、あなたたちは一段と成長しているはずです。

また陸に戻った時、立派な船乗りになったあなたたちと会えることを楽しみにしています。

赤文字で示した部分が映像で超クローズアップが使われた部分である。この後の海洋実習で晴風クラスは古庄教官から砲撃を受け、反乱扱いをされてしまう。この時、この超クローズアップで強調した古庄教官の映像とセリフは視聴者の想像力を掻き立てるのに効果的である。

超クローズアップで意味深に強調された「楽しみにしています」は古庄教官が何らかの計画に晴風クラスを巻き込んだことを意味しているのか?あるいは晴風クラスを試す何らかのテストを古庄教官が企んでいたのか?

こうした考えを湧き起こさせ、物語に巻き込んでいく。こう言った効果がこの超クローズアップには含まれているのである。

ローアングル

ローアングルは見上げるように被写体を映す手法である。これによって被写体に通常よりも力強く、支配的な印象を与えることができる。はいふりにおいては武蔵のシーンにて多用されている。TVシリーズのラストバトルの相手として存在感を出すために活用されるだけでなく、物語の進行に合わせてその表現は工夫されている。

第二話(左)と第十一話(右)の武蔵

二話の武蔵はまだ詳しい状況が分かっていない。ローアングルに加えて逆光にすることで威圧感と不穏な雰囲気を感じるようになっている。実際に、2話の時点では武蔵がこの事件に関わっているのではないか、という意見もあった*4

対して十一話の武蔵は二話の武蔵と全く同じ角度ではあるがその姿がはっきりと確認できる。また、カメラも少し上寄りで圧迫感も少ない。すでにこの時点だと武蔵が被害者の立場であると判明していることを考慮しての差だろう。

視界の閉塞

ここで紹介するのは私が個人的に気に入っているカットである。「このような効果がある」と、本などで解説されているものではないが、ここに載せておきたい。二話のシュペー戦で一瞬だけ映されるシュペーからの砲撃シーンである。

二話、シュペー砲撃シーン

望遠鏡から覗いているように画角が丸く狭まっている中、シュペーから砲撃が飛びそのうち一つがカメラの目の前まで迫ってくる、というシーンである。視界が狭くなっている中で自分の近くに迫ってくる砲弾を見ると、アニメの中だと分かっていても避けようと考えてしまう。

本来臨場感というものは水平視野の広がりによって感じるものだが*5、このような画面の作りでも十分にそれを作り出すことは可能なのである。

アニメ的なテクニックの観点から

ここでは映画とは違う、アニメ独自のテクニックについて考えていく。例えば漫符(💧などの記号で感情を表現する)や止め絵などがあるがはいふりに関してはあまり多用されておらず、ここでは語らない。今回注目するのは「バンク」である。

「バンク」とは同じセル画を使いまわす手法だ。日本初のTVアニメである『鉄腕アトム』にて作画枚数削減のために導入された手法であり、今日でも利用されている。特にキャラクターの変身シーンや、出撃シーンなどで見られるが、そういったシーンのないはいふりにおいても大いに活用されているのだ。

左から一話、九話、十一話、十二話の岬明乃

上に張った岬明乃が指示を出すシーンはすべてバンクとして使いまわしされている。ただし、十二話は眉毛の部分が書き直されている。

左から一話、九話の松永理都子
左から三話、九話の山下秀子
左から二話、三話の知床鈴

上に張り付けた3つのシーンもすべてバンクだが、セリフが異なっているため口の動画は別になっている。

左から一話、十二話の西崎芽依
両方とも三話の知床鈴

上の2シーンもバンクであるが、左右反転されている。ここで注目したいのははいふりはキャラデザインが左右対称ではないため単純に反転するだけではダメで書き直しが発生している点である。西崎芽依は髪と髪留めの位置を書き直しているし、知床鈴は艦章と学科章を書き直している。

他のアニメのバンクの使い方と比較検証はしていないため個人的な感覚の話になるが、こうした「バンクの一部分をシーンごとに合わせて修正する」という使い方をしているのは珍しい部類に思う。上で紹介した以外にも同様のバンクの使い方は散見される。完全な「バンク」ではなく部分部分をバンクとして再利用する「部分バンク」の活用が、はいふりというアニメの映像的な特徴と言ってもいいのではないだろうか。

おわりに

今回は映像的な部分を中心に、ということで映画的な手法やTVアニメとして独自の手法について見てみた。はいふりは映像的なテクニックを活用しているシーンはさほど多くはないように感じたが、バンクはかなり多用されている印象だった。

制作がギリギリだった話を聞くはいふりだが、こういったバンクによる省力を使って放送中は上手く乗り切ったのではないかと調べていて感じることができた。映像に着目すると文学的な部分に着目していた時とは別の発見を多くすることができる。これらの気づきははいふりを見るときだけではなく、他のアニメを見るときにも大きな資産になりそうな気がしている。

*1:小山昌宏須川亜紀子 編「アニメ研究入門」

*2:ジェニファー・ヴァン・シル「映画表現の教科書」

*3:安藤紘平「映像プロフェッショナル入門」

*4:一話で武蔵も遅刻していたという点も怪しさを感じさせるものだった

*5:安藤紘平「映像プロフェッショナル入門」