芸術家にとって芸術とは感動の対象でもなければ思索の対象でもない、実践である。作品とは、彼にとって、己のたてた里程標に過ぎない、彼に重要なのは歩く事である。
―—小林秀雄「様々なる意匠」
前回の最後に書いたように、今回は批評というよりはいふりの「間テクスト性」を見ていくという、研究に近い内容になる。はいふりに関連した作品などを拾い集めて作品の出自を明らかにしたいと考えている。
今から書く「はいふりの歴史」について
「間テクスト性」を見ていくとなると、注目すべきは「人」と「作品」になるだろう。「作品」は問題ないが、以前から言っている通り「人」は特定の人物に固定しないと議論が収束しない。今回は原案の鈴木貴昭を選定したいと思う。
また、通常歴史の記述は客観的な視点からなされるべきものだが、今回はあまり厳密に行わない。完全に客観的な視点が存在しないことも理由の一つだが、もっと自由にこの話題について取り扱いたいと私自身が思っているからである。
鈴木貴昭のミッション
まず、原案の鈴木貴昭を中心にはいふりという作品の間テクスト性を見ていこう。劇場版の公開あたりからはいふりに関するインタビュー記事が多くなり、情報を整理しやすくなっている。
この記事では萌ミリと呼ばれるジャンルが架空戦記の衰退から始まったこと、そしてその衰退についての鈴木自身の分析が書かれている。これを素直に読むならば、鈴木自身が作品を作る目的は、「定期的に新規ミリタリーファンを確保する」ことにあり、萌ミリはその手段の一つということになる。
そうした考えから「ストライクウィッチーズ(以降、スト魔女)」「ガールズ&パンツァー(以降、ガルパン)」「ハイスクール・フリート」、さらには現在放送中の「戦翼のシグルドリーヴァ(以降、シグルリ)」が生まれてきたのだろう。
そして、後発の作品はそれより前の作品の影響を大きく受けている。はいふりもスト魔女とガルパンの反省点を活かして作ろうとしていたことがインタビューからもわかる。ただ、企画段階から方向性が変わり、想定してたものとはだいぶ違った形となったようだ。はいふりで実現できなかった点はシグルリに活かされているように思われる。
上記萌ミリ作品の影響が数珠つなぎのように関連しているのはわかった。それ以外にも関連している作品はあるだろうか? 別のインタビューを参照してみよう。
このインタビューでははいふりの世界観のベースとして「蒼海の世紀」という漫画があがっている。この作品も萌ミリの一種であり、女の子だらけの海援隊に主人公の男がやって来る、というものだ。坂本龍馬が暗殺されていない、などはいふりにつながる設定も出てくる。
作成した作品から受容した作品へ
ここまででいろいろな作品の名前が出てきたが、あくまで「鈴木が関わった作品」のみにとどまっている。そうではなく、鈴木が影響を受けた作品に関しても考える必要があるだろう。
Twitterでこのあたりの情報が、直接本人から得られるのは大変ありがたいことである。鈴木本人が「これがなければはいふりは生まれなかった」とまで言っている作品がツイートされている。
8月17日に発売予定の「生賴範義 戦記画集」https://t.co/NekQeezAxl を拝見させて頂く。実に素晴らしい、まずこの表紙が最高で、ある意味この絵がなかったら「はいふり」は生まれなかったとも言える、それだけ自分に影響を与えた一枚から始まるとは! pic.twitter.com/sjgF9PJ9b1
— 鈴木貴昭 (@yamibun) 2018年8月12日
このイラストは元々ミリタリー雑誌「丸スペシャル」の1986年1月号の表紙を飾っていたものである。さらに、以下のようなツイートも見られる。
ヤマトファンも999ファンも沢山いたのに、そしてボトムズとザブングルファンは沢山いた、ナウシカは猛烈に盛り上がっていたようにアニメファンは沢山いたのに、当時ファーストガンダムファンに会った事は一度もない
— 鈴木貴昭 (@yamibun) 2012年6月9日
これは当時のガンダムブームを疑問視する発言の一部であるが、今回注目するのはガンダムを含めて言及されている作品だ。ヤマト、ナウシカなどはちょうど第二次アニメブームの作品であり、このブームは大体1970年代中頃から1980年代中頃まで続いた*1。
ツイートでは当時のアニメファンの属性を把握したうえで発言しているため、このブームの時にはアニメに造詣が深かったと思われる。さらに、このあたりの年代――50代~60代――の男性にとって、幼少期にプラモデルの作成を行うのは「通過儀礼」に近いものだったらしいが、その中でも最も人気だったのが戦艦大和だった*2。
先ほどの生賴範義の絵も戦艦大和のものであることを考えると、
といった流れでミリタリー嗜好がつながっていったのではないかと思われる。ここで、今まで出てきた作品とその関係を図にしてみたい。
どうやら、鈴木のミリタリー趣味の起源は戦艦大和にありそうだ。そして、鈴木がミリタリー界隈を維持しようとする彼自身に課したミッションも、その素晴らしさと歴史を知る人が減っていくことへの危機感の表れなのかもしれない。実際、鈴木ははいふり劇場版公開時に神奈川新聞のインタビューを受けているが、そこで歴史に対する強い思いを語っている。
はいふりの1話冒頭では幼い2人が大和を見て自分たちの夢を確かめ合うシーンがある。このシーンには、はいふりという作品に鈴木の込めた思いがそのまま反映されているのではないだろうか。
ジャンルと形式から見たはいふりの立ち位置
続いては、はいふりという作品の性質・特徴を他作品の形式の変化から探っていきたい。差し当たって、先ほど出てきた「萌ミリ」作品の変遷から見ていこう。
前節までは鈴木の関わった作品のみ見ていたが、当然それ以前にも萌ミリは存在していた。「青空少女隊」「聖少女艦隊バージンフリート」などがそれである。こうした作品は大きなヒットを飛ばすことはなかったが、常に作られ続けてきた。
そうした中でスト魔女が現れるわけだが、この辺りから萌ミリにはパラダイムシフトが起こっているように私には思える。と言うのは、萌ミリ作品からある要素が薄くなってきていると感じるからだ。
それは、恋愛要素である。
以下に萌ミリと思われる作品を、恋愛要素の有無でまとめてみた。ここで恋愛要素は主人公との関係だけに限定する*3。恋愛要素があるものは赤文字で示した。
作品名 | 放送・発売年 | 提供形態 | 恋愛要素 |
青空少女隊 | 1994年 | OVA | あり |
聖少女艦隊バージンフリート | 1998年 | OVA | あり |
ストラトス・フォー | 2003年 | TVアニメ | なし |
タクティカルロア | 2006年 | TVアニメ | あり |
ストライクウィッチーズ | 2008年 | TVアニメ | なし |
ソ・ラ・ノ・ヲ・ト | 2010年 | TVアニメ | なし |
うぽって!! | 2012年 | TVアニメ | なし |
ガールズ&パンツァー | 2012年 | TVアニメ | なし |
蒼き鋼のアルペジオ | 2013年 | TVアニメ | あり |
艦隊これくしょん | 2015年 | TVアニメ | なし |
ハイスクール・フリート | 2016年 | TVアニメ | なし |
荒野のコトブキ飛行隊 | 2019年 | TVアニメ | なし |
ガーリーエアフォース | 2019年 | TVアニメ | あり |
アズールレーン | 2019年 | TVアニメ | なし |
戦翼のシグルドリーヴァ | 2020年 | TVアニメ | なし |
これを見ると、スト魔女以降の萌ミリ作品には恋愛要素がほとんど現れないことがわかる。このころを境に萌ミリは、ハーレム物やギャルゲー設定にミリタリーを付け加えたものではなく「美少女×ミリタリー」という属性だけを抽出し、そこに「何か」を付け加える形式へと変わっていったのだ。
スト魔女であれば「魔法少女」、ガルパンであれば「スポ根」、はいふりであれば「お仕事もの」、コトブキは「西部劇」、シグルリは「北欧神話」がそれぞれ付け加えられた要素と思われる。
「美少女×ミリタリー」という属性の独立が大きな出来事だったのは間違いない。そして、その独立が今なお続くほどに萌えとミリタリーの親和性は高かった。かつて「萌えで○○」の代表的な作品だった「もえたん」はTVアニメ化もされたが、その後ジャンルを形成するまでには至らず終わっている。
ただ、はいふりはこうした萌ミリの流れの中では特別な形式をしている作品ではないように見える。次はまた別の形式に目を向けてはいふりを見てみよう。
アニプレックスのオリジナルアニメとしてのはいふり
はいふりが持っている形式的な特徴として学生が主役のお仕事ものであることが挙げられる。これは本来学校に通っているはずの子供が仕事をしているという意味ではなく、学業と仕事を兼務しているという意味である。
なかなか珍しい設定のようにも見えるが、実ははいふり放送の1年前に似た設定の作品が出ている。「Classroom☆Crisis(以降、クラクラ)」である。
上記の作品は、昼は学業、夜は新型エンジンの開発を行う社員という二足わらじな生活をしている特別なクラス「A-TEC」が舞台となる物語だ。この作品では昼は教師と学生の関係であった二人が夜では逆転し部下と上司になる、などはいふりに通じる関係性の複雑化が見られる。
特筆すべきなのはこのはいふりとクラクラの製作委員会にアニプレックスが幹事会社として名を連ねていることである。つまりアニプレックスは似た設定の2作品を同時進行で作っていたことになる。プロデューサーを見ても2作品で被っている人がいないため、誰かが上に立って旗振りをしていたわけでもなさそうだ。
他にも似た事例がある。「魔法少女まどか☆マギカ(以降、まどマギ)」と「幻影ヲ駆ケル太陽(以降、幻影太陽)」である。両方とも可愛い絵柄と正反対にダークな世界観を持った作品だ。
幻影太陽の方は私もファンなので制作時の状況を知っているが、2010年冬のコミケに参加した際に近くにいたアニプレックスのプロデューサーと会話してアニメ化の流れが決まったということらしい。当然そのころにはまどマギも制作中だった。
そうなると、この特徴の被りはアニプレックスという会社の方向性を表しているように思える。つまり「本来アンマッチなものを掛け合わせて作品を作る」という方向性である。
まどマギと幻影太陽は「可愛い絵柄」と「ダークな物語」を組み合わせ、はいふりとクラクラは「学生」と「仕事」を組み合わせた。視覚的なアンマッチと概念的なアンマッチの2パターンがあるように見える。
これを先ほど述べた萌ミリの変遷と組み合わせて考えてみたい。まず萌ミリとしてアニプレックスが最初に出してきたアニメは「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト(以降、ソラヲト)」だろう。ソラヲトは典型的に「可愛い女の子たち(萌)」と「ミリタリー」という視覚的なアンマッチを含んだ作品である。はいふりはソラヲトと同じ後期型の萌ミリだが、そこにさらに「学生」と「仕事」というアンマッチを付け加えている。
つまりはいふりは2つのアンマッチを保持している作品なのだ。アニプレックスという会社の方向性が最初にミリタリーと交わったのがソラヲトだとすれば、そこからさらに「濃縮された」のがはいふりの正体なのではないだろうか。
ここまでの話も図に表しておこう。
おわりに
私は先ほどまで2つの方向からはいふりがどこから来たのかを確認してきた。1つ目は鈴木貴昭がどのような作品に影響を受けてはいふりを作成したか。これは受容理論的な視点から見たはいふりの歴史と言えるだろう。
2つ目はどのようなジャンル・形式の変遷からはいふりが生まれてきたか。これは形式主義的な視点から見たはいふりの歴史と言える。
実際にはもう一つ、唯物史観――つまり経済の視点――から見た歴史もあるが、これは以前ビジネス批評の際にやっているのでここでは言及しない。
一応、何か結論的なことを書こうかと思ったが、まとまらなかった。はいふりは鈴木貴昭のミッションとアニプレックスの好む形式がちょうど交わるところにできたアニメであるのは確かだが、それは他のどんなアニメにも言及できることだろう。
もし今回わかった特徴からはいふりの「この先」を予想するとすれば、おそらく当初の目的である「新規ミリタリーファンの獲得」を目指して新作を作ると思われる。つまり、劇場版と同様に過去の話には言及せず、いきなり見ても問題ない構成にして作品を作り続けることだろう。
そんな想像をしながら、私ははいふりという里程標をしばらく眺め続けていたいと思っている。