はいふり批評23 寄せ集めのクラスとはいふり

作者の個性を感じさせず、他者にゆだねられた芸術の理想的な姿こそ、ウォーホルが生涯にわたって見つめてきたイコンに他ならなかった。

イコンにとって作者は重要ではなく、作品の個性もオリジナリティも必要とされないが、教会や家庭で日常的に崇敬されている。

――宮下規久朗「美術の力 表現の原点を辿る」

今回は「ポストモダニズム批評」を試していきたいと思っている。

本来はもっと前に手を付けるべきだったが、なかなか概念を理解できず、それゆえにはいふりにどう適用すべきかもわからずに煮詰まっていた批評だ。

この批評では今まで実施してきた批評のほとんどを批判的に見ることになる。

ポストモダニズムについて

ポストモダニズム批評と言うからには、「ポストモダニズム」という概念の説明をしなければ始まらない。「ポストコロニアル」という言葉がそうであったようにこの言葉もモダニズムの後の時代(ポスト)を示している。

まず、文学のモダニズムについての特徴を書き出そう。

  • 印象や主観の強調
  • 客観性(明確な道徳的立場、超越的視点からの語り)からの離反
  • ジャンルの境界線の曖昧化
  • パロディ、パスティーシュ的作品。コラージュの多用

モダニズムがなぜ上記のような特徴を有するかと言えば、この運動が啓蒙思想から始まったからである。それ以前の時代は血縁や伝統や宗教の戒律などが重視されたが、啓蒙思想では理性や論理を働かせることが重視される。

例を出すと、君主制ではなく民主制、宗教ではなく科学、縁故ではなく実力という風に考え方が変わってきた。そのため、モダニズムでは神の視点から離れて主観性を強調したり、創造主(つまり神)のように振る舞う作者の立場を放棄するためにパロディが活用されるようになったのだ。

ではポストモダニズムとは何なのかというと、モダニズムの言う理性や科学による進歩などはまやかしだ、という立場である。ポストモダニズムにとって、私たちの現実は局所的で暫定的で偶発的なものの積み重ねでできており、そこにいかなる目標も存在しない。しかし、モダニズムはその現実を全く無視して、理性による進歩こそが正しいという原理を強要するのだ。

「原理を強要する」それはつまり、実際には存在している性別・人種・年齢・文化・社会的立場といった個々の事情を一切考慮しないということだ。当然これではどこかに破綻が起こるだろう。

実際、モダニズムを実践した最初の例としてみなされるフランス革命は恐怖政治と混乱をフランスに呼び込み、ナポレオンを皇帝にしたり共和制に戻ったりと迷走することになった。理性が人や社会を前に進めるという考えは、幻想にすぎないのだ。

こうしたポストモダニズムの作品の特徴は何かというと、実はモダニズムと違いがあまりない。2つとも「絶対的に正しいとされるもの、主義主張」に対する反発だからである。そして、こうした考えや態度を作品から読み解こうとするのが「ポストモダニズム批評」となる。

はいふりと「大きな物語

哲学者のジャン=フランソワ・リオタールは前時代やモダニズムが主張する真理や進歩を達成できるという神話を「大きな物語」と呼び、実際に有効なのは暫定的で相対的な「小さな物語」だけであると主張した。今回はこの考えをはいふりに適用してみたいと思う。

まず、はいふりの作中にある「大きな物語」とは何だろうか。そう呼べるものは作中に2つある。

一つ目は岬明乃が主張する「海の仲間は家族」という物語だ。これは父親(のイメージ)のように振る舞うことで「本当の家族」になれる、という物語である。岬明乃は実際の晴風メンバーに会う前からこの理念を信じて、適用しようと試みた。

二つ目は宗谷ましろが主張する「Always on the deck」という物語だ。岬明乃と同様、これも母親(のイメージ)のように振る舞うことで「艦長」になれるという物語を示している。そして、実際には全く方向性の違う岬明乃にもこの理念を適用しようと試みた。

こうしたお互いの主義主張が現実と出会って破綻していくのは以前書いたとおりである。

 

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普遍的な主張である2つの「大きな物語」が退けられ、残ったものは何だったのか。それが第十一話で(柳原麻侖の言葉を翻訳した)黒木洋美が宗谷ましろに言ったセリフにあると考えている。

足りないものは補い合うのが、本当の仲間だってことを言ってるんだと思うわ。宗谷さん、艦長を助けられるのはあなたしかいないわ

足りないものを補おうとすれば、その対応は普遍的なものではなく相手に合わせたものにならざるを得ない。そこにあるのは、暫定的で相対的な「小さな物語」だけになるだろう。

岬明乃が求めた「本当の家族」も、宗谷ましろの求めた「艦長」も普遍的な主義主張の先に存在するのではなく、晴風クラスという小さな集団の係わりの中にこそある。そうしたポストモダニズム的な主張も、はいふりの中から読み取ることができるのだ。

寄せ集めのアニメーション

先ほどまで語ったように、「大きな物語」を否定し「小さな物語」だけがあるとした場合、批評としては少し困ったことが起こる。すべてが暫定的で相対的で局所的であり、本質や真理が存在しなければ、ある作品に対する批評などほとんど意味がないものとななってしまうのだ。

マルクス主義批評は「作品という表層は経済的な影響のもとでできている」という主張からなっているし、フェミニズム批評は「作品という表層は家父長的な考えのもとでできている」という主張からなっている。だが、ポストモダニズムは作品という表層の裏に何か普遍的な主義主張があることを否定する。

そうすると、批評に語れることはもうほとんどなくなってしまう。

やれることと言えば、作品の「間テクスト性」…つまり、他作品からの影響やそれによるパロディ、パスティーシュ、コラージュで作品が成り立っていることを証明して、「他作品の寄せ集めだけで主義主張など存在しない」と表明することくらいである。

上記の考えに基づいて、はいふりに使われているパロディ、パスティーシュ、コラージュを見ていこう。

第二次世界大戦のパロディ

ポストモダニズムがパロディの対象とするものには過去の歴史も含まれる。以前のはいふり批評で「RATt事件はこの世界における第二次世界大戦の焼き直しとも言えるかもしれない。」と言ったが、今回はそれを深堀していく。

 

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ここでの私の結論を先に言っておくと「はいふり第二次世界大戦のパロディだ」である。

私は上記の記事でネズミとRATt全体主義を等号で結んだが、第二次世界大戦——特にヨーロッパでの戦いは全体主義とそれに対抗する勢力との戦いだった。これはナチス・ドイツ全体主義勢力と考えた見方である。先ほどの等号と合わせるとネズミ=RATt=全体主義=ナチス・ドイツになる。

実際、ナチスをネズミと同一視した表現も存在している。例えば「ラットライン」というのはナチス党員の逃走経路のことを指す。

しかしそれ以上にナチスのような全体主義勢力をネズミと強烈に関連付けた創作がはいふりより前に存在していた。アルベール・カミュの「ペスト」である。

「ペスト」はアルジェリアのオランで蔓延していくペストと、それと戦う市民の姿を描いた作品である。1947年に刊行されたこの本を人々はペストをナチスに、市民をレジスタンスに置き換えて読んでいた*1。当然それは終わったばかりの戦争の生々しい記憶が影響していただろう。

さらに、著者のカミュも「ペスト」について「ナチズムに対するヨーロッパの抵抗の闘いを明白な内容としている」とロラン・バルトに対する手紙に記載している。

つまり、昔からネズミとそれに媒介される病原菌は全体主義の寓意として扱われることがあったのだ。

そしてそれは、はいふりにも当てはまる。RATtRATtウイルスという驚異とそれに立ち向かう晴風クラスの物語がTVシリーズはいふりだからだ。「ペスト」がそうであったようにはいふり第二次世界大戦という史実のパロディとなっているのである。

コラージュとしての「晴風

はいふりの主役艦である「晴風」はコラージュによって作られた船である。それはかつての駆逐艦に学校の教室や自動販売機が備え付けられている、というだけの話ではない。艦艇のエピソードもコラージュのように組み合わされているのである。

代表的なものは第十二話で晴風が沈むシーンである。「港まで後進してたどり着き、そのあと沈んだ」という意味では駆逐艦涼月のエピソードを参考にしているように見えるし、「乗組員が全員退艦後に沈んだ」という意味では駆逐艦綾波のエピソード*2を参考にしているように見える。

また、第八話で岬明乃が艦橋上のハッチから体を乗り出して指揮をするのは駆逐艦雪風の寺内艦長のエピソードとして有名なものだ*3。はっきりと元ネタを見つけられなかったが、第四話で海に落ちた立石志摩が波に押し上げられて船に戻ってきたのも実際にあったことらしい。

晴風のコラージュは船そのものにとどまらない。船員である晴風クラスの面々もコラージュの集まりになっている。

例えば水雷員の松永理都子と姫路果代子だ。この2人の名前は女子プロボーラー第1期生である中山律子と須田開代子から、名字は現役トップの松永裕美姫路麗からそれぞれ取られて組み合わされていると思われる。

他にも機関科のメンバーは史実の軍関係者や湾の名前と猫の名前を組み合わせ作られており、コラージュの塊のような状態になっている。「柳原麻侖」は「柳原」が海軍機関学校最後の学長である柳原博光から、「麻侖」は猫の名前として人気な「マロン」から、誕生日は戦艦大和の進水日から組み合わされていると考えられる*4

先ほどはいふりの話が第二次世界大戦のパロディであると述べたが、はいふりがパロディやコラージュの元とするのは同じアニメや漫画からよりも歴史や実在の人物の方が多い。それははいふりが「架空戦記」という歴史のパロディ作品の親戚であることに起因しているのかもしれない。

はいふりは、現実に対するパロディとして自らを定義し、それによって自らには何の主義主張もないこと…つまり、単なるエンターテイメント作品であることを表明しているのである。

おわりに

今回はポストモダニズム批評を試したが、実施していることとしては脱構築と似ている感じがした。実際に「大きな物語」で二人の主張が破綻していくのは以前やった脱構築の流れそのままである。

何となくだが、以前の批評に引きずられて新しい見方が出来なくなっている気がしなくもない。一人でやっているからしょうがないことではあるが。

今回パロディなどの元ネタ調べをしていて、はいふりという作品の「間テクスト性」についてもっと詳しく知りたいと思ったので、次回はそれをまとめてみようと思う。若干批評とは離れてしまうかもしれないが、箸休めにはちょうどいい。

*1:三野博司著「カミュを読む 評伝と全作品」

*2:志賀博ほか「駆逐艦物語」

*3:雑誌「丸」2017年9月号

*4:黒木洋美は戦艦武蔵の進水日、機関科四人組はそれぞれ金剛型戦艦の進水日になっている