はいふり批評19 日本占領、その先に

私は日本国民に対して事実上無制限の権限をもっていた。歴史上いかなる植民地総督も、征服者も、総司令官も、私が日本国民に対してもったほどの権力をもったことはなかった。私の権力は至上のものであった。

ーーダグラス・マッカーサーマッカーサー回想記」

第二次世界大戦は70年以上も前に終わった。私も戦後生まれで、戦争のことは記録の中でしか知らない。だが、戦争の記憶というものはその民族に数世紀は残るともいわれている。では、その戦争の記憶が今の文学やアニメにも影響を与えているのであろうか?

今回は、かつての植民地政策が残した影響を読み取っていく批評である「ポストコロニアル批評」を試していく。

ポストコロニアルという言葉について

ポストコロニアルとは、植民地政策(コロニアル)の後の時代(ポスト)を示す言葉である。西洋によって植民地化された第三世界の文化全般の研究を行う「ポストコロニアル研究」の中で、特に文学作品を対象としたものを「ポストコロニアル批評」と呼ぶ。

ポストコロニアル批評が明確にその姿を現したのはアメリカの文学研究者であるエドワード・サイードの著書「オリエンタリズム」からである。サイードはこの著書の中で、西洋的なものの優位性とそれ以外(多くの場合東洋文化)の劣等性という普遍的価値観をいかに西洋側が作り上げてきたかを明らかにしようとする。その中で、西洋と対比される東洋の人は本能的であり、野蛮であり、野性的であるといったように画一的な描かれ方をされるのだ。

ポストコロニアル批評の具体的な方法としては上記のように文化的他者とされる植民地側の人間が文学の中でどのように描かれているか、ということに注目する。

今回はこの批評をはいふりに適用していこう。

ポストコロニアル批評で見たはいふりの世界

先ほど述べた通り、ポストコロニアル批評は支配者側が被支配者側をどう文学で扱っているかと明らかにするものである。しかし、それをはいふりに適用するのは無理がある。日本がかつて植民地政策を行った朝鮮*1や台湾の人々は、このアニメの中に現れていないからだ。

だが、まったく無理というわけでもない。アプローチの方法を変えればやり方はある。

ポストコロニアル批評は対象作品が文化的他者をどう扱っているかに注目するが、その注目する方向は「植民地政策に関する問題についていかに責任逃れを行い、沈黙しているか」という点についてである。

この点において、はいふりにはポストコロニアル批評に十分耐えうる情報がある。はいふりの世界では日露戦争後で大きく歴史が変わっており、その変化の内容によって植民地に対する考え方を読み解くことができるのだ。

はいふり世界の歴史の動き

第二話の冒頭で宗谷家が会話していた通り、はいふりの世界では日露戦争後に日本の地盤沈下が発生している。日露戦争終結が1905年で、韓国併合が1910年なのではいふり世界では韓国併合が行われなかった可能性があるのだ。実際に、ハイスクール・フリートファンブックなどでは、地盤沈下による海上都市建設の推進のために大陸進出をあきらめたと記載されている。

ここにポストコロニアル批評は注目する。そもそも歴史上から植民地支配を消してしまうというこの世界観こそ「植民地政策に対する沈黙」の一種ではないかと考えるのだ。

朝鮮以外も見てみよう。満州については日露戦争直後に大陸進出をあきらめていることから植民地としては存在していない。逆に日清戦争で手に入れた台湾は植民地としての歴史が存在していると思われる。

これも巧妙である。どちらかと言えば好意的な解釈がされる台湾統治は残り、そうではない朝鮮と満州の支配は歴史から綺麗に消えている。はいふり世界の日本は、各国に何ら後ろめたいことがない国家として存在しているのではないか。そして、それこそがこの作品の持つ植民地政策に対する沈黙、あるいは正当化の形なのである。

「植民地政策に対する沈黙」は誤読か

歴史上から植民地政策を消していることを指して「はいふりは日本が他国を植民地支配していたという事実から巧妙に目を逸らしている」と結論づけることは可能だろう。

しかし、はいふりを見た多くの人はこの結論に疑問を感じるに違いない。なぜなら、この話は原因と結果を取り違えてしまっているように見えるからである。そもそもはいふり世界の歴史が日露戦争あたりから変化しているのは日本が第二次世界大戦時に保持していた艦艇を失わせないためだと考えられる。

地盤沈下によって大陸進出をあきらめた日本は第一次世界大戦に参加せず*2、その結果済南事件・満州事変などのちの日中戦争につながる事件も起きなかった。

「日本に戦争をさせずに艦艇を保持させておく」というのはこのアニメの肝になるため、設定を作る過程で大陸進出を断念させる理由が生まれてきたのだと思われる。どうやら、このやり方だとはいふりへのポストコロニアル批評の適用はうまくいかないようだ。

日本を被支配者として見る

先ほどまで日本を支配者側として定義してはいふりを扱った。しかし、日本を被支配者側として見るポストコロニアル批評も可能だろう。日本は植民地になったことはないが、敗戦後は連合国側の占領を受けていた。この占領後を日本におけるポストコロニアル社会として、その文化的影響から批評を行うことも可能だと私は考えている。

ここで、「そもそも日本は占領以前から諸外国の影響を大きく受けていた」ことが考慮から漏れていると考える人もいるだろう。全くその通りではあるが、今回は「ポストコロニアル」という観点から占領後のみに焦点を絞りたい。また占領時は他の時代とは違い、ほぼアメリカのみからの影響を強制的に受け続けたという意味で他の時代とは区別したい。

占領下での変化について

占領下の文化的影響については多様な意見があると思われるが、今回は加藤周一が著書の「日本文学史序説」で語っている以下の点に特に注目したい。

社会生活一般について、四五年以後のおそらく最大の変化は、家庭でも、学校でも、企業でも、集団内部の上下関係の厳格さが崩れ、平等主義が普及したことである。(中略)すなわち敗戦と被占領後に出現したのは、個人の人権と少数意見の尊重に鈍感で、しかし高度に平等主義的であり、集団相互および集団の成員相互の競争が激しく、個人の集団への組込まれが常に強かった社会である。

 ここで「集団内部の」という但し書きが付いていることに注目したい。一見すると占領時では「婦人参政権の付与」「農地改革」「労働組合法の制定」「財閥解体」など集団外部に対する平等を促進する動きが顕著だった。にもかかわらず、加藤周一が注目するのは集団内部の動きについてである。これはなぜなのか?

実は、上記に挙げたうち前者3つは戦前からすでに懸案事項となっており、マッカーサーの五大改革指令が出される前に日本側から動き始めていた*3。そのため、戦前と比べて大きな変化だと考えなかったのではないかと思われる。

では具体的に「集団内部の」変化には何があっただろうか。代表的なところでは民法が改正され、戸主制度が廃止されたことだろう。これによって、戦前は家族に対して強い権限を持っていた戸主はいなくなり、表面上は家庭内の平等が実現された*4

戸主制度を代表とする家族制度は旧民法制定当初から「時代遅れ」と言われていたが、他の制度が変わりゆく中でもこれだけは戦後まで放置されたままであった*5

集団外部の制度改革には積極的だが、集団内部に対しては消極的。それが戦前までの日本の特徴だったと言えるだろう。これは日本人論の論客であるグレゴリー・クラークの意見とも一致する。クラークは著書の「ユニークな日本人」にて日本人の社会を「人間関係社会」と定義し、その特徴の1つを語っている。

日本のグループはある場合は派閥の形をとり、もちろんその派閥の中では平等主義ではない。(中略)グループの中ではそんなに平等ではないですけれど、社会全体の中では平等なんです。欧米はその逆で、社会全体の中で平等ではなくてもグループのなかではわりに平等なんです。

 このように、集団として基本的に不平等だった日本の中に、欧米のような平等主義が入ってきた。これが占領下における文化的影響の最たるものであった。と、今回は定義してはいふりに適用したいと思う。

晴風クラスという集団

はいふりにおける集団と言えば晴風クラスをおいてほかにない。このクラスは他のアニメにはない特徴を持っている。学校のクラスメートという「平等的」関係にありながら、一隻の船の士官・下士官に分けられる「階級的」関係も併せ持っているという特徴だ。

さらに、主人公である岬明乃はこの2つの関係性に「家族」という第3の関係性を上乗せする。

先ほど見たように「家族」とは占領下で最も文化的影響を受けた集団の一つである。そして、以前の批評で書いた通り岬明乃はこの「家族」のイメージについて明確なものを持っていない。

 

no-known.hatenablog.com

 

はいふりの物語では岬明乃は艦長としての姿とクラスメートとしての姿を自然と使い分けていたように感じられる。それは他の各科長クラスのメンバーも同じだ。唯一の例外は常に階級よりだった宗谷ましろくらいだろう。

つまり、はいふりに描かれた「家族」は階級的であると同時に平等的である。占領以前の状態と占領後の状態が同居している形で描かれているのだ。

このハイブリッドな状態が、ポストコロニアル文化としてどの位置に当たるのかについてははいふり前後のアニメたちがどの位置に当たるかを確認しなければ正確なことが言えない。

例えば、はいふり以前のアニメたちがグループ内の平等性を強調するものが大多数で、以降のアニメが階級的なのであれば、「はいふりは占領下の平等主義から過去の日本的な価値観に戻ろうとするまでの中間期に当たる作品だった」と述べることが可能だろう。

これを検証するには2つの意味で時間が足りないのでここではやれない。しかし、晴風クラスには確かに日本的な部分と占領下に与えられた欧米的な部分が共存し、これはポストコロニアル批評における「文化的多価性」を表すものだと言えるだろう。

日本占領下での影響は、今なおアニメという日本の文化の中に、はいふりという作品の中に息づいているのだ。

終わりに

ポストコロニアル批評もいろいろな視点が考えられる批評である。今回書いた以外にも「なぜ日本に大きな文化的影響を与えたアメリカがはいふりの中では影が薄いのか」や「なぜヴィルヘルミーナは先輩で、スーザンは子供として描かれたのか」などもポストコロニアル批評として成立するのではないだろうか。

今回は占領下に受けた影響のみをピックアップしたが、それ以外の現代にいたるまでの文化的影響を考慮してはいふりを見る必要もあるだろう。なかなか、先は長そうである。

*1:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/99-3/Kajii.htm

*2:第六話で「20世紀初頭」に設置された機雷についての話で知床鈴が「戦争にならなくてよかった」と言っている

*3:福永文夫著『日本占領史 1945-1952』

*4:神原文子他著『よくわかる現代家族 第二版』

*5:武田知弘著『教科書には載っていない!戦前の日本』