はいふり批評22 RATtウイルスの起源を探る

哲学者たちにとってもっともむずかしい仕事の一つは、思想の世界から現実的な世界のなかへおりてゆくことである。

ーーマルクスエンゲルスドイツ・イデオロギー

今回行おうとしている批評は、今までの批評とはかなり趣が異なる。私自身、この批評を見たとき批評と呼んでよいものか疑問だった。しかし、一方でこの批評はかなり多くの人が、それこそ「批評」などする気もないような人々でさえ頻繁に使用している方法論でもあるのだ。

作品の中に入り込んでいくようなアプローチを特徴とするこの「透明な批評」を今回は試していく。

透明な批評のアプローチ

「透明な批評」という言葉を最初に使ったのは文学批評家のアントニー・デイヴィッド・ナトールである。彼は批評を「不透明な批評」と「透明な批評」に分けた。「不透明な批評」というのはまさに今まで実施してきた批評で、作品を外から見て構造や内容を分析していくものである。

対して「透明な批評」は作品の世界に入り込み、設問を立てて論じるやり方をとる。以前、中学生が太宰治の「走れメロス」に対して「どの程度の速度で走っていたのか」という設問を立てて検証した記事が話題になった。「透明な批評」はちょうどこれに当たるだろう。

 

nlab.itmedia.co.jp

 

この批評は作品の中に入り込んで、作品の疑問に答えを出そうとする。「太宰治はそんなところまで考えてない」「太宰治が伝えたいことはそんなことではない」という外から見た指摘などは、この批評では考慮されない。

だが、これは言わば考察や妄想に位置するものである。これを批評理論と呼ぶことに関して直観的に拒否感が出るのは否めない。しかし、ナトールは「不透明な批評」だけでは作者と読者が隔てられ、文学の喜びがなくなってしまうと「透明な批評」を擁護している。

それでは実際に何個かの設問を立てて「透明な批評」をはいふりで実践していきたい。

RATtウイルスは何ウイルスだったのか

作中での事件の元凶である「RATtウイルス」。今回はこのウイルスがなぜ発生したのかを作中の描写などから推測していこうと思う。

RATtウイルスの特徴を以下にあげてみた。

  • 感染から発症が異常に早い
  • 身体的な異常(発熱、出血など)は発生せず、神経に作用する
  • RATtと呼ばれるネズミに似た生き物を宿主とする

まず、発症の早さから考えてみたい。第四話で立石志摩がRATtに触れてから発症するまではおそらく数分しか経っていないと思われる。通常ウイルスというものは感染者の細胞に取りつき、細胞の機能を利用して数を増やす。その過程で細胞を破壊したり、機能不全を起こすことで感染者に症状が表れる。この感染から症状が出るまでの期間を「潜伏期間」と呼んでいる。

作中描写を見るに、その潜伏期間がRATtウイルスにはほとんどない。ということは、常識では考えられないスピードで増殖が行われていることになる。このようなスピードで増殖するウイルスは現実には見つかっていないが、少なくともRNAウイルスになるだろう。ウイルスには大分して「RNAウイルス」と「DNAウイルス」があるが、一般的にRNAウイルスの方が分裂が早い*1

次に身体的な異常ではなく精神に異常をきたす点である。精神のみ異常を発生させるウイルスは、調べてみたが該当するものが見つからなかった。だが、異常行動を併発するものはいくつかある。有名なものはインフルエンザウイルスが引き起こすインフルエンザ脳炎だろう。ヘルペスウイルスが原因となるヘルペス脳炎も該当する。

その中で私が注目するのが狂犬病ウイルスだ。

狂犬病も幻覚や異常行動を伴う病気であり、この原因となる狂犬病ウイルスはRNAウイルスである。さらには、狂犬病ウイルスはネズミを宿主にする場合もあるのだ。

狂犬病ウイルス自体は潜伏期間が1~3ヵ月程度あるのだが、「変異を起こした場合は1時間程度で発症することもありうる」と語るウイルス学者もいる。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

RATtウイルス誕生秘話

タイトルに「誕生秘話」などと書いたが、ここで語ろうとしているのは単なる想像の産物である。

第四話で鏑木美波が言っているようにRATtは遺伝子構造が通常のネズミとは異なっている。また、第八話で宗谷真霜が持ってきた資料には以下の記載があった。

密閉環境における生命維持及び

低酸素環境に適応するための遺伝子導入実験

おそらくRATtは遺伝子配列を操作し生存に必要なタンパク質を生成できるようになった生き物ではないかと思われる。 では、どのようにして遺伝子を操作するのかという点だが、そこでもウイルスが使われる。例えば遺伝子治療では必要な遺伝子をレトロウイルス*2に組み込んで、患者や細胞に感染させることで遺伝子を組み込むのだ。

しかし、レトロウイルスと狂犬病ウイルスはウイルスの科が違う。たとえ同じ細胞に同時に感染したとしても、別種のウイルスが発生することはあり得ない。

そこで一つの仮説を立ててみたい。何らかの理由でRATt自身への遺伝子組み込みでは想定通りの結果が出せなかった研究者たちは「必要なタンパク質生成の遺伝子を狂犬病ウイルスに組み込んで感染させられないか」と考えたのではないだろうか。

ウイルスは自身のRNAの中に複数のタンパク質を生成するための情報を持っている。そのため、それを書き換えれば有益なタンパク質を意図的に作らせることもできる。実際に、クロレラに感染するクロレラウイルスはクロレラ自身に必要なタンパク質も作っている、という例もある*3

狂犬病ウイルスを無毒化し、必要なタンパク質を生成するようにしたもの…それが「RATtウイルス」の正体なのではないかと私は考える。この夢のようなウイルスは、残念ながら副産物として感染者同士の生体電流を操作してつなぎ合わせることを可能にしてしまっていたのだ。

 

外から見ればこのRATtウイルスは単なる舞台装置の一つか、『28日後…』『ワールド・ウォーZ』などに出てくるトンデモウイルスのオマージュになるかもしれないが、透明な批評ではそのような言及はしない。あくまで作品の中だけで想像力を働かせるのである。

パーシアス作戦はなぜ戦力を一極集中してしまったのか

もう一つの設問は物語終盤で晴風が参加する予定だった「パーシアス作戦」についてである。この作戦は結局武蔵がフィリピンではなく日本に向かってきたことで破綻してしまったのだが、なぜ一極集中するような方針になってしまったのか、そこを考えたい。

この戦力の一極集中ははたから見ると奇妙にうつる。作中の描写を見ると、第十話のブルーマーメイドの会議では武蔵が最後に目撃されたのはウルシー南方で進路は西、現在地は不明ということだった。

現在地が不明であれば、まず見つけてから対処方法を考えるべきだったのではないか?という疑問がまず浮かんでくる。それが出来なかったのはなぜか? ここでは「武蔵をフィリピンに行かせるのだけはどうしても避けたい」という理由があったのではないか、という点から考えてみたいと思う。

まず単純な理由としては日本の海洋学校の船が他国の領海に勝手に侵入すれば国際問題になるだろう、という点が挙げられる。それを防ぐためにブルーマーメイドはフィリピン方面に戦力を集中したかったのではないだろうか。第十一話のように武蔵が日本に来れば国内の問題として片づけられるが、フィリピンに行けばそうも言えなくなる。

だが、おそらくそれだけの問題でもないだろう。

ウルシー南方から西に移動、ということは少し南に進路がずれればマレーシアやインドネシアに突入する可能性もある。それにもかかわらずフィリピンだけに戦力を集中させたということは「フィリピンだけには絶対に行かせたくない理由」があったはずである。

例えば、フィリピンが日本の安全保障上非常にデリケートな場所になっている可能性だ。

はいふりの世界で第二次世界大戦が起こらなかったことは以前述べたが、フィリピンは第二次世界大戦に突入するまでアメリカ合衆国の植民地だった*4。しかもその独立には第二次世界大戦が絡んでくるため、はいふりの世界ではアメリカから独立していない可能性もあるのだ。

日本とアメリカの関係はかなり悪化した時期があり、史実だとそのまま太平洋戦争へと突入してしまった。もしかするとはいふり世界の日本はその危うい関係性を今なお内包したままアメリカと向かい合っているのかもしれない。

実際、大和や武蔵などの戦艦は海軍軍縮条約で決められた排水量を超えた艦であり、これらの艦がはいふり世界にも存在しているということは、日本もどこかの時点でこの条約から脱退したことを暗に示していると考えられる。

パーシアス作戦のフィリピンへの戦力集中は、ひとえにアメリカという大国との対峙を意識した結果に生まれていたと考察できるのだ。

「アジアの希望の星」フィリピン

 「フィリピンに行かせたくない理由」をもう一つ考えてみよう。先ほどまではフィリピンがアメリカ合衆国から独立していない前提で語ったが、現実と同様に独立している可能性もある。その場合、どんな理由が考えられるか?

「アジアの希望の星」…これはフィリピンに対する多くのエコノミストが共有する意見のようだ*5。事実、フィリピンはすでに人口が1億人を超え、GDPも上がり続けている。

その将来性に目を付け始めたのか、日本の企業でもエレクトロニクス関連を中心に新工場の建設などに乗り出している。また、GDPの70%を占める国内の個人消費を狙ってコンビニ、アパレル業界の進出も続いている。

さらにはフィリピンにとって日本は最大の貿易国であり、ODAの供与国でもある。日本とフィリピンは経済的につながりの深い国であると言えるだろう。

だが、これらの経済的結び付きよりも重要なのは、政治的な結び付きの方ではないだろうか。

安倍首相は2012年末の内閣発足後、半年後にはフィリピンへの訪問を行っている。この時は同時にマレーシアとシンガポールにも訪問しているが、フィリピンに日本の首相が訪問するのは六年半ぶりとなるため、重視の姿勢が見受けられる*6

フィリピンで新しくロドリゴ・ドゥテルテ大統領が就任した際も三か月後には会談を行った。さらに、2017年には最初の外遊先としてフィリピンに赴いている。この際はドゥテルテ大統領の地元であるミンダナオ島にも足を運び、関係強化の姿勢を示した。

この安倍首相の行動には、近年台頭してきた中国の動きが影響していると見るのが一般的だ。

以前マルクス主義批評の際にも触れたが、中国は最近になって領海侵犯など侵略的な行動を隠さなくなってきた。

 

no-known.hatenablog.com

 

フィリピンのある南シナ海でも同様で、「九段線」なる主権・管轄権の主張を行い、各国との溝を深めている。

フィリピンもその渦中の国の一つなのだが、前大統領の親米反中路線から現ドゥテルテ大統領は反米親中路線へと切り替えているように見受けられる。アメリカに対する過激発言が何かと注目されがちなドゥテルテ大統領だが、上記南シナ海の問題で仲裁裁判所が下した「中国側の九段線に根拠なし」とする決定に対し、中国との二国間協議で解決する、と中国側に配慮した動きを見せた。

フィリピンの中国への接近は、日本にとっては好ましくない。中国・ロシアと侵略的な考えを持った大国や、現在かなり関係が悪化している韓国が周りにいる中で南側の国であるフィリピンまで中国側に入ってしまうと、まさに四面楚歌の状態になるからだ。

こうした危機感が前述の安倍首相の行動にも現れていたと見ることができる。

同時に、上記の点からはいふりのパーシアス作戦を考えてみると、フィリピンとの関係悪化が危ぶまれる事態を水際で阻止するために立案された作戦だったのだと解釈が可能だろう。

パーシアス作戦の不可思議な一極集中の裏には「中国やロシアと言った北の大国たちをどう退けるか」という明治開国以来、近現代の日本の変わらぬテーマ*7が隠れていたのである。

おわりに

誰しも、アニメや漫画を見て「ここは実はこうなっているのかも知れない」「この描写ってこの展開の伏線だったんじゃ?」などと考えて想像を膨らませたことがあるだろう。こうした想像や考察には抗えない楽しさがあるものだ。

「透明な批評」もそうした楽しさを十分に味わうことができる批評だろう。

さらには普段自分が意識しない分野に目を向けるいい機会にもなる。私もこの批評のためにウイルスやフィリピンについて初めて詳細な情報を知ることができた。知識が増える楽しみもこの批評は提供してくれるように思われる。

今回考えた以外にも様々な設問が考えられる。その先には思いもよらない発見が待っているかもしれない。

*1:https://www.med.kindai.ac.jp/transfusion/ketsuekigakuwomanabou-252.pdf

*2:これもRNAウイルスである

*3:武村政春著『新しいウイルス入門』

*4:マレーシアはイギリス、インドネシアはオランダの植民地だった

*5:井出穣治著『フィリピンー急成長する若き「大国」』

*6:https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/page24_000037.html

*7:皿木喜久著『子供たちに伝えたい日本の戦争』