はいふり批評28 セーラー服と航洋艦

人間はその理性的な魂があるために、他の動物と区別されているにもかかわらず、その理性なるものが、衣服の場合にはさっぱりと現れていない。

――エリック・ギル

前回は食べ物に着目してはいふりを見てみた。食べ物で考えたからには衣食住の各カテゴリでも同様に考えることができるのではないか。そう考えて、今回は衣服の観点からはいふりを見ていこうと思う。

今回特に注目するのはセーラー服だ。はいふりではセーラー服がどのような役割を担い、なにを表現しているのかを確認していきたい。

服について

衣服について語るのだから、この「服」というものについてまず考えてみよう。

人は食べなければ生きていけない。だが服に関してはそうでもない。全裸に近い格好で生涯を過ごすヒンバ族、寒冷な地帯にも関わらず毛皮のマントを羽織るだけで生活していたというオナ族などもいる。どうやら、私たちがすぐに思い浮かぶであろう体温調節についてが服が生まれた理由ではないらしい。

では服の役割とは何なのか?人類学者の中では「性別・身分を強調するため」というのがもっとも重要な要素と考えられているようだ*1

文化人類学者の大給近達が南米アマゾンの部族を調査した際の逸話に面白いものがある。自分のシャツを祈禱師にあげたところ、昼間の猛暑の中は下半身裸のままこのシャツを身に着け村を歩き、夜の間は冷え込んできても家にしまい込んで着なかったという。祈祷師にとって、シャツは体温調節のためではなく、自らの地位を村の皆に表明するためのアイテムだったのである。

このことはわざわざ南米アマゾンの部族を見なくても確認できる。私は出社するとき、会社の「クールビズ」期間でなければスーツを着込みネクタイをしっかり結ぶ。どんなに暑くてもだ。そして、冬の時期外出すると寒いのに生足でスカートを着ている女学生を普通に見かける。私たちの衣服に対する扱いは、合理性とは程遠い。

繰り返しになるが、衣服とは「性別・身分を強調するためのアイテム」である。この前提ではいふりの衣服、特にセーラー服について見ていきたいと思う。

セーラー服を脱がさないで

はいふりの衣服といえば、いつもキャラクターが着ている「セーラー服」が一番に挙げられるだろう。ご存じの人が大半だろうが、セーラー服は元々海軍の制服だった。それが子供服として人気がでて、今の女子生徒用のセーラー服に繋がっている*2

そのため、はいふりのセーラー服は他のアニメ作品のセーラー服とは若干意味合いが異なっている。彼女たちが女子生徒であるという表明以外に、彼女たちが軍人であるという表明も同時に行ってい。それがはいふりのセーラー服なのだ。

これは岬明乃が艦長兼クラス委員長という肩書を持っていることからも理解することができる。セーラー服を着ている時、彼女たちは軍人であり学生なのである。

このことを詳細に見ていくため、セーラー服を着ていない場面について考えてみよう。逆説的に、セーラー服を脱いでいる場面にこそはいふりにおけるセーラー服の機能が現れているはずなのだ。

TVシリーズはいふりでキャラがセーラー服を脱いでいる場面は3つほどある。

  1. 水着、ジャージ、運動服、ダイバースーツを着ている
  2. 私服を着ている
  3. 裸である(お風呂に入っている)

1番に関してははっきり言ってセーラー服を着ているのと大差はない。すべて学校からの指定された服だからだ*3。重要なのは2番と3番である。

象徴としてのセーラー服

私服を着ているのは4話でオーシャンモール四国沖店に行く場面だ。4人だけだが艦長も含めて私服で行動している。このシーンでは晴風の乗組員だとバレないよう行動しているため必然的に「艦長」などと言った呼び方を避けているが他の言動も軍隊的なものから離れている。

特にトイレットペーパーを当てた岬明乃が「やったー!」と喜ぶシーンは彼女がクラス委員長でも艦長でもない姿を見せた唯一のシーンではないかと個人的に考えている。

お風呂のシーンは6話で機関科と一緒に入るシーンが分かりやすい。「機関科の順番」や「トップが順番を守らない」という点を気にしている他のメンバーを素っ裸で風呂に入っていた柳原麻侖が以下のように諭す。

非常時に順番もへったくれもあるかい!さっさと入んなぁ!

このセリフで麻侖は本来は存在する科の隔たりや役職の違いを積極的に無視している。

続くお風呂のシーンでは本来は艦橋と機関室という離れた場所で働いている2人が対等な立場で話をすることになる。以上のことから、はいふりにおいてセーラー服を着ていない状態と言うのは軍人としての役職から解放されている瞬間だと定義できるだろう。

そしてこのことはセーラー服が学生の象徴であると同時に軍人の象徴であることを強調する。セーラ服を着ている限り、彼女たちは軍人の役割を全うしなくてはならない。そのような世界観がこの服の中には隠されているのだ。

おわりに

前々からはいふりのセーラー服については考えてみたいと思っていた。かつては軍服だったものが今は女子の制服になっており、それがはいふり世界では統一されている。この設定には不思議な魅力がある。

かつて戦争の象徴だった軍艦がはいふりでは教育のための艦艇になっているのと同じで現実と少しずれているところに面白さを感じるのかもしれない。はいふりはこういった本来は交わらない要素が交わっていい味をだしている作品なのだ。まさにカツオの刺身にマヨネーズ。

ところで5/27~6/9の間、横須賀HUMAXシネマズにて劇場版ハイスクール・フリートが再上映している。ぜひこの機会に劇場でハイスクール・フリートを楽しんでほしい。

*1:祖父江孝男「文化人類学入門」

*2:辻元よしふみ「図説 戦争と軍服の歴史」

*3:一部個人の水着を持ち込んでいる者もいるが