オッペンハイマー 感想

クリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」を見てきた。

実写映画だけど感想書いちゃうぞ。

分かりやすかった!

 とりあえずこれを言わねばなるまい。前作「TENET」を見たときはマジで頭が混乱したので・・・。正直言って面白い面白くない以前の状態だった。だが今作は分かりやすい!

 今作も時間があっちやこっちや行くのだが個々のシーン自体は時系列に沿って展開されているためすんなり理解できた。それも終盤になると何でこんなメチャクチャな時系列にしたのかも何となく分かるようになっている。だからこそあのラストがスッと頭に入ってくるね。

 それとカラーで撮影されたシーンと白黒で撮影されたシーンに別れている部分。ノーランの過去作「メメント」に該当する演出があったので若干身構えたが、シンプルにオッペンハイマーの主観シーンがカラー、薄汚れた靴屋*1のシーンが白黒になっていただけだった。なぜ撮影を分けているのか・・・という部分は考察しがいがあるのかもしれないが、今のところパッとこれだ!という理由は見当たらない。なにか気づけば追記しよう。

オッペンハイマーは罪人なのか?

自責とは快楽的なものだ。

我々が自身を非難している限り誰も我々を非難する権利はないのだ。

――オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」

 今作のテーマ的なものがあるとすれば「オッペンハイマーは罪人なのか?」という問いかけになるのだろうか?

 作品を見る限りノーランは彼、というより彼らを罪人だと表現している*2。代表的なのは作品の序盤で示されるプロメテウスの逸話である。ギリシャ神話の神プロメテウスは人間に火を与え、その罪によって責め苦を味わうことになる。作中にはオッペンハイマーとプロメテウスを同一視するセリフがあり、オッペンハイマー=プロメテウス=罪人と結び付けているような節がある。

 さらに彼は調査委員会(だっけ?)で裁判官でもない人間に「裁判官」と声をかける。それは彼が自分自身を罪人だと考えているからなのだろう。さらには不倫に対しての妻からの叱責、という流れではあるが「罪を犯したのに同情されようとするな!」とオッペンハイマーに吐き捨てるシーンもある。

 あらゆる描写が彼を罪人だと指さしている。

 

 そこまでならまあいいとして、この作品ではさらに「オッペンハイマーだけでなく彼に協力した科学者にも全員罪がある」と主張しているように見える。

 それはラストシーンのアインシュタインとの会話で浮き彫りになる。アインシュタインオッペンハイマーに向かって「すべてが終わって無実と分かり、君の肩に手を置くものがいても君のためにやっていることではない」というセリフを言う*3。では誰のためにやっていることか?自分が許されたいがためにやっている行為なのだ。その行為は免罪の行為であり、免罪を求めるのは罪人だ。つまりこのセリフはオッペンハイマーの周りの人間にも罪があることを主張している。

 さらにこれに続くオッペンハイマーのセリフ。「"我々は"破壊してしまった」。調査委員会で散々「"我々"ではなく"あなた"は!?」と聞かれたオッペンハイマーから出てきた"我々"という単語。これはオッペンハイマーが、あるいはノーランがこの罪は科学者全体にあると認識していることを示しているのである。

 この作品の最初は水面から始まる。雨が落ちて水面に次々とさざ波が立つ。それはまるで世界中で爆発が起きているようにも見える。原爆の父、世界の脅威を書き換えてしまった男、オッペンハイマー。果たして彼は、彼らは罪人だったのだろうか。

おわりに

 なんというか終始緊迫感が漂う作品だった。特に原爆の実験シーンの緊迫感は素晴らしいものがあった。それを盛り立てた音楽も素晴らしかった。ノーラン監督の作品だからハンス・ジマーだろうと思っていたが、今回は違う人らしい。子供の頃スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を見て「インターステラー」を作った人がその10年後に「博士の異常な愛情」みたいな「オッペンハイマー」を作っている。

 次はどんな映画を撮るのだろうか?結構好きな監督なので次も期待しちゃうぞ。

*1:名前忘れた

*2:表現しているが、実際にノーランがどう考えているかは彼にしか分からない

*3:うろ覚えだがこんな感じだった