戦闘美少女というイコンは、おたく的ブリコラージュの見事な発明品である
ーー斎藤環「戦闘美少女の精神分析」
はいふりを戦闘美少女系として見たとき、そこには何が見えるのだろうか。今回の視点はそこにある。
「戦闘美少女系」というジャンル
「戦闘美少女系」と聞き、その代表作として私が一番に思い浮かべるのはセーラームーンである。少し下の世代になるとプリキュアになるかもしれない。
「戦う」「美少女」が出てくる作品。大雑把にいうと戦闘美少女系はそういった作品の総称である。先にあげた2作品以外にも枚挙にいとまがない*1。それほど日本のアニメにとって戦闘美少女系はジャンルとして浸透してる。
斎藤環の戦闘美少女の系譜
精神科医の斎藤環は著書*2の中で戦闘美少女の系列を以下の12個に分けた。
系列 | 説明 | 作品例 |
紅一点系 | 戦闘部隊の中に少数の女性がいるパターン | 科学忍者隊ガッチャマン |
魔法少女系 | 女性が魔法を用いて戦うパターン | カードキャプターさくら |
変身少女系 | 女性が変身して戦うパターン | キューティーハニー |
チーム系 | 戦う女性がコンビ・トリオ・チームを組んでいるパターン | 逮捕しちゃうぞ |
スポ根系 | スポーツを中心に女性が頑張るパターン | エースをねらえ! |
宝塚系 | 「男装の麗人」が戦うパターン | 少女革命ウテナ |
服装倒錯系 | 両性の特徴が強調されたパターン | らんま1/2 |
ハンター系 | 特定の任務が与えられて女性が戦うパターン | GS美神 |
同居系 | 相手を守る等の名目で一緒に住むパターン | 守って守護月天! |
ピグマリオン系 | 中心気質など空虚な主体を持った女性が戦うパターン | Drスランプ |
巫女系 | 二項対立関係を解消するために戦うパターン | 風の谷のナウシカ |
異世界系 | 女性が異世界に紛れ込んでしまい戦うパターン | 天空のエスカフローネ |
さらにここに複数の系列の特徴を併せ持った「混合系」が入ってくる。変身少女系、チーム系の両方を合わせもつ「美少女戦士セーラームーン」などである。
上記の系列は2000年に作られたものであるが、今のアニメ作品を見てもどこかに当てはまるだろう。
では、はいふりはどこに当てはまるだろうか?当然チーム系には当てはまるだろう。前回お仕事系として述べたように晴風クラスというチームが一丸となって武蔵に向かうシーンがその頂点だと私は考えている。
また、女性的なキャラクターと男性的な職業との組み合わせという意味で服装倒錯系。艦長帽を基点とした疑似的な変身が描かれているという意味で変身少女系にも該当する部分がある。
戦闘美少女ものが喚起するものとは
はいふりが分類として「チーム系」「服装倒錯系」「変身少女系」に該当することは分かった。だが、そもそも戦闘美少女ものとしての「面白さ」というのはいったいどういったものになるのだろうか?
私はお仕事系でその面白さを以下のように説明した。
専攻の違う者たちが、一つの目的に向かって全力を尽くす姿。その結実が感動や熱さを生むのである。
上記はストーリーとしての面白さを説明しているが、戦闘美少女を扱う際にはストーリーの点では面白さを説明しづらい。なぜなら、「同じストーリーであれば美少女ではなくても面白いし、美少女である必要性がないのでは」という意見に反論できないからである。
女性だからこのストーリーが面白い、という点で考えるとそこにはジェンダーに関する言及が必要になってくるだろう*3。そしてジェンダーの面から考えるにしても、なぜ成熟した女性ではなく少女を矢面に立たせる必要があるのかという点について、また別の回答を用意する必要が出てくるだろう。
ここで再び斎藤環に来ていただこう。
斎藤環は日本における戦闘美少女の隆盛についてセクシャリティの観点から考察を行っている。それによると、戦闘美少女というジャンルは日本の文化が成熟させた虚構空間における「魅力的な類型」の一つである。「春画」のように虚構の存在を性的な対象と見る文化は昔からあった。その「描かれたものにより性的な欲求を満たす」という性の虚構化において、あらゆる性倒錯(同性愛、幼児愛、サディズム、マゾヒズム・・・)を含むことのできる類型が「戦闘美少女」なのである。
「戦闘美少女」は漫画・アニメの便利屋なのだ。
このことから「戦闘美少女」というのは「戦闘美少女」であるというだけでオタクにとっては十分に魅力的なのだと考えられる*4。
「戦闘美少女」が「戦闘美少女」なだけで魅力的であれば、これ以上はいふりを戦闘美少女系として語ることに意味はないように思われる。だが、はいふりには「戦う」「美少女」という2要素において、他と比べて特異な点があるため、これについては言及しておく。
「戦う」相手の不在
戦闘美少女系の一要素である「戦う」を考えたとき、他アニメとはいふりの違いは明らかだ。
それは「(見かけ上の)敵の不在」である。
横須賀女子海洋学校の艦船が次々と行方不明になっていたのはRATtと呼ばれるネズミに似た生命体が原因であった。序盤の数話こそ「晴風 vs 謎の敵?」という推測の構図はあったものの、RATtが原因と判明してからは「晴風 vs 救助対象」に入れ替わる。
他の戦闘美少女ものには必ずハッキリとした敵がいる。スポ根ものであったとしても試合相手として勝たなければならない敵があてがわれる。それがはいふりにはない。あるのは「打ち勝たなければならない状況」のみなのだ。
ここではいふりは戦闘美少女というよりもお仕事ものに性格が近いことを再確認するだろう。
とはいえ「見かけ上」とあえてつけたのは、やはりはいふりにも敵が存在していたからである。そして、晴風クラスは見事に倒した。そのことについては別の批評で語る必要がある。
近年の戦闘美少女とはいふりの特異性
次は「美少女」という点から他アニメとはいふりの違いを見ていく。
近年においても、戦闘美少女アニメは数えきれないほどある。「プリキュアシリーズ」「魔法少女リリカルなのは」「ストライクウィッチーズ」「魔法少女まどか☆マギカ」「戦姫絶唱シンフォギア」「Fate/kaleid liner プリズマ イリヤ」「ガールズ&パンツァー」「ファンタジスタドール」「幻影ヲ駆ケル太陽」「超次元ゲイム ネプテューヌ」「結城友奈は勇者である」「ビビッドレッドオペレーション」「艦隊これくしょん」「刀使ノ巫女」・・・まさに無数と言っていい。
近年の戦闘美少女では戦っている男性の中に女性がいる「紅一点系」はほとんど見られず、もっぱら女性がメインで戦っている作品ばかりになっている。そして、その特徴故にある理由づけが行われていることが多い。つまり「なぜ少女が戦わなければならないのか」という理由づけである。
男をいかにして退けるかの創意工夫たち
闘いの場からの男性排除。この方法として用いられる最もポピュラーな設定は「女性にしか力が宿らないから」というものである。 「ストライクウィッチーズ」では魔力を持っているのは女性が多いという設定がある。「戦姫絶唱シンフォギア」では「適合者」と呼ばれる者しか戦えず、それは女性に偏っているようだ。
他には「ガールズ&パンツァー」のように、文化的に男性が行うのに似つかわしくないと設定されているものもある。
面白いのは「ファンタジスタドール」だろう。ドールたちを扱うマスターに関しては女性、男性の制限はない。実際にアニメ中に男性のマスターも出ている。だが、ドールは女性型しかおらず、一人のマスターに対して複数のドールが居るため、結果的に画面の女性占有率が高くなっているのである。
男性排除を行わないはいふり
さて、数々の戦闘美少女ものの話をしてきたが、はいふりはどうだったのか?
はいふりも本編二話で、女性が船に乗っている理由が語られる。多くの視聴者はこれが戦闘美少女ものに見られる男性排除のはいふり版なのだとお約束的に理解する。
ところがである。なんと続く三話では男子学生が載っている潜水艦が現われ主人公たちと戦闘を繰り広げ、五話では男子校の教頭たちが水上艦に乗って武蔵と交戦を始めてしまうのだ。
そう、はいふりは近年の作品では珍しく戦闘美少女ものでありながら、男性排除を徹底していない作品なのである。この世界では男性も普通に水上艦で戦闘をしているのだ。この特徴は、はいふりが元々原案の鈴木貴昭が関わっていた「蒼海の世紀」をベースに造られたことに関係してるだろう。「蒼海の世紀」は架空戦記としての血がより強く、史実の中に女性だけが所属する海援隊が作られる、という発想から生まれている。
「蒼海の世紀」の設定を色濃く継いでいるはいふりもまた、女性だけが船に乗る世界ではなく、女性も船に乗る世界になったのだろう。そこが、他の戦闘美少女アニメとはいふりが異なる点なのである。
おわりに
戦闘美少女系としてはいふりを見た場合、特徴的だったのは以下の点だろう。
- 明確な敵が存在しない
- 男性排除が徹底されていない
はいふりはよく「ストライクウィッチーズ」や「ガールズ&パンツァー」の系譜として語られることがあるが、実際のところその2つよりも戦闘美少女としての性格は弱い。
これが「軍艦×美少女」という見かけ上の印象で作品を見た層に、決定的なカテゴリ間違いをさせてしまったのではないか、と私は考えている。
続いて、ミリタリー系としてのはいふりを見ていく。