劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 再生産総集編

つい先日劇場公開されたばかりの「少女☆歌劇 レヴュースタァライト 再生産総集編」を見てきました。TVシリーズは見ていなかったんですが、ちょっと興味があったので視聴。その感想的なものになります。

TVシリーズの総集編らしいのでネタバレ云々はあんまり意味がないかもしれませんが、まだ見ていない人は一応注意してください。

続きを読む

はいふり批評21 「はいふりは胸に甘えていない」とはどういうことか

俺は小さいオッパイが好きだぜ。だって、あれって『いらっしゃいませ!よろしくね!』って感じじゃない。でも巨乳は『悪いけど、5分以内でたのむわ』って感じだもの

ーーミッチ・ファテル

 2019年6月2日。「ハイスクール・フリート WEB特番 ゲームと映画でピンチ!」の中で司会を担当したアナウンサー松澤千晶は以下のような印象的な一言を残した。

はいふりは胸に甘えていない

さて、「胸に甘えていない」とはどういう意味なのだろうか。逆に他のゲームやアニメは胸に甘えている、ということなのだろうか。実際にその認識が正しいと仮定して、なぜそのような認識は生まれるのだろうか。

今回は一般的な批評理論を使った内容ではない。「作品には製作者の性的欲望が反映されている」という仮定を元に作品を読み解こうとする行為、仮にこれを「リビドー批評」と名付けその実践を行うものである。

続きを読む

楽園追放 -Expelled from Paradise-

今朝「楽園追放 -Expelled from Paradise-」を見た。2014年の劇場アニメだが、上映当時はかなり話題になっていた。私は結局見なかったが、主人公の女の子が可愛いということだけはしっかりと覚えていた。

見てみるととても面白かったので、感想を書いておく。

もちろんネタバレも含まれるのでまだ見ていない方は読まない方がいい。

続きを読む

はいふり批評20 七つの青は今日も世界を包んでいる

国破れて山河在り

ーー杜甫 

批評や哲学というものは、ある思想が生まれてくるとしばらくしてそれに対する反発が起こる。作者や道徳的な意図を探る批評の反発から形式主義批評は生まれ、形式主義批評(特に構造主義)への反発から脱構築が生まれた。さらに後の時代では形式主義/脱構築が考慮しない社会の影響を取り込んだフェミニズム批評やマルクス主義批評が盛んになっていく。

今回取り扱う「エコ批評」もその連綿と続いてきた批評への反発として生まれてきたものになる。

続きを読む

はいふり批評19 日本占領、その先に

私は日本国民に対して事実上無制限の権限をもっていた。歴史上いかなる植民地総督も、征服者も、総司令官も、私が日本国民に対してもったほどの権力をもったことはなかった。私の権力は至上のものであった。

ーーダグラス・マッカーサーマッカーサー回想記」

第二次世界大戦は70年以上も前に終わった。私も戦後生まれで、戦争のことは記録の中でしか知らない。だが、戦争の記憶というものはその民族に数世紀は残るともいわれている。では、その戦争の記憶が今の文学やアニメにも影響を与えているのであろうか?

今回は、かつての植民地政策が残した影響を読み取っていく批評である「ポストコロニアル批評」を試していく。

続きを読む

はいふり批評18 はいふりの断面図を眺めよう

全体は部分の総和にあらず(The whole is greater than the sum of its parts.)

ーーアリストテレス

世界の神話や昔話の中には、不思議な共通項を持っているものが多い。「母親が死んだあと、腹から生まれてきた英雄」というパターンの話は日本中に広く分布し、また中国にも似たような話があるという*1

今回進めていくのはこのような「物語の構造」を取り扱う批評。「物語論批評」である。ケーキにナイフを入れてその断面図を観察するように、はいふりという物語が一体どのようにできているのか見ていこう。

*1:祖父江孝男著「文化人類学入門」

続きを読む

はいふり批評17 家族の虚構、虚構の家族

3年前、タイに旅行に行ったときのことだった。バスのガイドさんがタイの王朝について移動しながら説明をしてくれていて、私はそういった歴史などに興味を持ち始めていたころだったからとても楽しく聞いていた。その中で、

現在のバンコク王朝の前のトンブリー王朝の王には子供ができず*1、親友だったラーマ1世に国を譲った

という話があった。その時私は「なるほど。そうなのか」と納得していたが。Wikipediaではラーマ1世は乱心した前王を殺して王位についたとされている*2。さて、どちらが正しい歴史なのだろうか。

いや、どちらが「正しい」など考える必要はない。私たちはもう物語としての歴史にしか触れることができず、それゆえに多様な解釈ができるのだから。

今回取り扱うのは、歴史を絶対視しないという考え方から生まれてきた批評「新歴史主義批評」である。

*1:体が弱く、だったかもしれない。記憶があいまいだ

*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%9E1%E4%B8%96

続きを読む