楽園追放 -Expelled from Paradise-

今朝「楽園追放 -Expelled from Paradise-」を見た。2014年の劇場アニメだが、上映当時はかなり話題になっていた。私は結局見なかったが、主人公の女の子が可愛いということだけはしっかりと覚えていた。

見てみるととても面白かったので、感想を書いておく。

もちろんネタバレも含まれるのでまだ見ていない方は読まない方がいい。

続きを読む

はいふり批評20 七つの青は今日も世界を包んでいる

国破れて山河在り

ーー杜甫 

批評や哲学というものは、ある思想が生まれてくるとしばらくしてそれに対する反発が起こる。作者や道徳的な意図を探る批評の反発から形式主義批評は生まれ、形式主義批評(特に構造主義)への反発から脱構築が生まれた。さらに後の時代では形式主義/脱構築が考慮しない社会の影響を取り込んだフェミニズム批評やマルクス主義批評が盛んになっていく。

今回取り扱う「エコ批評」もその連綿と続いてきた批評への反発として生まれてきたものになる。

続きを読む

はいふり批評19 日本占領、その先に

私は日本国民に対して事実上無制限の権限をもっていた。歴史上いかなる植民地総督も、征服者も、総司令官も、私が日本国民に対してもったほどの権力をもったことはなかった。私の権力は至上のものであった。

ーーダグラス・マッカーサーマッカーサー回想記」

第二次世界大戦は70年以上も前に終わった。私も戦後生まれで、戦争のことは記録の中でしか知らない。だが、戦争の記憶というものはその民族に数世紀は残るともいわれている。では、その戦争の記憶が今の文学やアニメにも影響を与えているのであろうか?

今回は、かつての植民地政策が残した影響を読み取っていく批評である「ポストコロニアル批評」を試していく。

続きを読む

はいふり批評18 はいふりの断面図を眺めよう

全体は部分の総和にあらず(The whole is greater than the sum of its parts.)

ーーアリストテレス

世界の神話や昔話の中には、不思議な共通項を持っているものが多い。「母親が死んだあと、腹から生まれてきた英雄」というパターンの話は日本中に広く分布し、また中国にも似たような話があるという*1

今回進めていくのはこのような「物語の構造」を取り扱う批評。「物語論批評」である。ケーキにナイフを入れてその断面図を観察するように、はいふりという物語が一体どのようにできているのか見ていこう。

*1:祖父江孝男著「文化人類学入門」

続きを読む

はいふり批評17 家族の虚構、虚構の家族

3年前、タイに旅行に行ったときのことだった。バスのガイドさんがタイの王朝について移動しながら説明をしてくれていて、私はそういった歴史などに興味を持ち始めていたころだったからとても楽しく聞いていた。その中で、

現在のバンコク王朝の前のトンブリー王朝の王には子供ができず*1、親友だったラーマ1世に国を譲った

という話があった。その時私は「なるほど。そうなのか」と納得していたが。Wikipediaではラーマ1世は乱心した前王を殺して王位についたとされている*2。さて、どちらが正しい歴史なのだろうか。

いや、どちらが「正しい」など考える必要はない。私たちはもう物語としての歴史にしか触れることができず、それゆえに多様な解釈ができるのだから。

今回取り扱うのは、歴史を絶対視しないという考え方から生まれてきた批評「新歴史主義批評」である。

*1:体が弱く、だったかもしれない。記憶があいまいだ

*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%9E1%E4%B8%96

続きを読む

劇場版ハイスクール・フリート 上映館雑感

今日で劇場版ハイスクール・フリートを上映しているところが大分減ってしまいますが、そんなタイミングで私が行った各上映館での視聴感想をまとめていきます。

アニメの内容には触れないのでご安心ください。

f:id:no_known:20200312202230j:plain

よーそろー!
続きを読む

はいふり批評番外編 劇場版ハイスクール・フリート

はいふり」改め「ハイスクール・フリート

ーーハイスクール・フリート公式

2020年1月12日、記念艦三笠で先行上映された劇場版ハイスクール・フリートを見てきた。最後A-1 Picturesの柏田さんがでてきて作画の謝罪をしたのには笑ったが、とにかく劇場版の批評を軽くしていこうと思う。

当然劇場版のネタバレを含むので、見ていない方は絶対に読み進めないようにしていただきたい。

続きを読む