はいふり批評13 岬明乃はなぜ母親ではなく父親を目指すのか

たのんだぞ、ハムレット。もう行かねばならぬ。夜明けが近づいた。はかない蛍の火も薄れてゆく。もうこれまでだ。行くぞ。父を忘れるな、父の頼みを。

ーーウィリアム・シェイクスピアハムレット

今回行おうとするのは精神分析批評と呼ばれるものである。精神分析批評とはどういったものかを最初に説明し、実践としてはいふりの主人公岬明乃の精神分析に挑んでみたい。

※現在TVでハイスクール・フリートの放送をやっていますが、この批評にはネタバレが多分に含まれるため、気を付けてください※

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はいふり批評12 はいふり、脱構築、全体主義

 善や悪はただの名目にすぎず、容易にくるくるどちらにでも移し変えることができる

ーーラルフ・ウォルドー・エマーソン

前回予告したとおり、今回は「脱構築批評」をはいふりに適用していく。

最初に、脱構築という直感的ではない概念の説明をした後、試しに岬明乃と宗谷ましろに対して脱構築批評を行う。その後、全体主義について脱構築を行い、この批評から導き出されるものを考えていきたい。

脱構築は物語の意味を決定不可能にする、という特殊な批評だが、その過程で得るものは大きい。

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はいふり批評11 はいふりをのぞく時、はいふりもまたこちらをのぞいているのだ

読者から私が期待するのは、読者が私の本の中に私の知らなかったことを読み取ってくれることです。ただし、それを私が期待できるのは、自分がまだ知らないことを読みたいと思っている読者だけなのです

ーーイタロ・カルヴィーノ

今まで私は伝統的批評として作者を中心に考える批評を、形式主義批評として作品そのものを中心に考える批評を取り扱った。しかし、作品に関わる登場人物でまだ取り扱っていない立場がある。そう、視聴者である。

今回は視聴者を中心とした批評を文学批評で言う「読者反応批評」と合わせて考えて行きたい。

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はいふり批評10 形式主義批評その2 はいふり三大アイロニー

「施肥が十分で栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど咲きません」

花は、言うまでもなく植物の繁殖器官、次の世代へ生命を受け継がせるための種子をつくる器官です。その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を幻覚できるほどの、エネルギーの充足状態が内部に生じるからでしょうか。

ーー吉野弘「茶の花おぼえがき」

以前はいふりのSF要素を考察した際に、RATtアイロニーが含まれた存在であることを書いていた。今回はその「アイロニー」を中心にはいふりを見ていこうと考えている。

はいふりには、かなり多くのアイロニーが含まれており、それを探してみるのも楽しみの一つかもしれない。

no-known.hatenablog.com

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はいふり批評9 交響曲<はいふり>

「天才」は美しいメロディーを思いついた後の綿密な音楽設計で、凡人にはっきりと差をつけるのである。

ーー三輪眞弘「コンピュータ・エイジの音楽理論

今までの批評は、構成や脚本に対してのものだった。しかし、今回の批評は少し視点を変えてみる。作品に使われている音楽、つまり劇伴(BGM)・OP・EDについての批評を行おうと思う。今回は主に劇伴に焦点を当てる。

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はいふり批評8 形式主義批評その1 ネコと一緒に見るはいふり

 ひとしきり、騒ぎが一層激しくにぎやかになったとき、タルーはふと足を止めた。暗い舗道の上を一つの影が軽快に走っていた。それは一匹の猫、春以来おそらく初めて見かけた猫だった。

ーーアルベール・カミュ「ペスト」

今回は形式主義批評・・・特に構造主義批評を用いてはいふりを見ていく。前回取り上げた吉田玲子へのインタビュー記事の中にはいふりにまつわる興味深い記載がある。

シナリオ先行で、そこからキャラクターをイメージして作っていただきました。

まずシナリオありきで作られたはいふりでは、それだけキャラクターの役割に焦点を置いている可能性がある。そのため、構造主義批評の格好の対象になりうる可能性を秘めているのである。

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はいふり批評7 吉田玲子と「視点」と「家族」

アンドレア「英雄のいない国は不幸だ!」

ガリレイ「英雄を必要とする国が不幸なんだ」

ーーベルトルト・ブレヒトガリレイの生涯」

今回は伝統的批評の一つである「伝記的批評」に手を付けていく。これはその名の通り、作品を作者の人生の反映として見る「伝記的」なアプローチである。

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