読者から私が期待するのは、読者が私の本の中に私の知らなかったことを読み取ってくれることです。ただし、それを私が期待できるのは、自分がまだ知らないことを読みたいと思っている読者だけなのです
今まで私は伝統的批評として作者を中心に考える批評を、形式主義批評として作品そのものを中心に考える批評を取り扱った。しかし、作品に関わる登場人物でまだ取り扱っていない立場がある。そう、視聴者である。
今回は視聴者を中心とした批評を文学批評で言う「読者反応批評」と合わせて考えて行きたい。
続きを読むひとしきり、騒ぎが一層激しくにぎやかになったとき、タルーはふと足を止めた。暗い舗道の上を一つの影が軽快に走っていた。それは一匹の猫、春以来おそらく初めて見かけた猫だった。
ーーアルベール・カミュ「ペスト」
今回は形式主義批評・・・特に構造主義批評を用いてはいふりを見ていく。前回取り上げた吉田玲子へのインタビュー記事の中にはいふりにまつわる興味深い記載がある。
シナリオ先行で、そこからキャラクターをイメージして作っていただきました。
まずシナリオありきで作られたはいふりでは、それだけキャラクターの役割に焦点を置いている可能性がある。そのため、構造主義批評の格好の対象になりうる可能性を秘めているのである。
続きを読むアンドレア「英雄のいない国は不幸だ!」
ガリレイ「英雄を必要とする国が不幸なんだ」
ーーベルトルト・ブレヒト「ガリレイの生涯」
今回は伝統的批評の一つである「伝記的批評」に手を付けていく。これはその名の通り、作品を作者の人生の反映として見る「伝記的」なアプローチである。
続きを読む彼らの批評姿勢は、彼らを取り巻く世界の先入観と信念と分かちがたく結びついている。だから、これはなんら責められるべきことではない。
ーーテリー・イーグルトン「文学とは何か」
ここまで、はいふりを4つのジャンル、すなわち「お仕事系」「戦闘美少女系」「ミリタリー系」「サイエンス・フィクション(SF)」に分けて検討してみた。今回は最後の総評となる。
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おれが生を享けた憎むべき日よ!呪われた創造主よ!
おまえでさえ嫌って顔をそむけるような醜い怪物をどうしてつくったのだ?
――メアリ・シェリー「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」
はいふりに対して行うジャンル批評もこれで最後になる。ここではサイエンス・フィクション(SF)としてはいふりを見ていく。
果たして、はいふりはSF作品なのであろうか。SF作品である場合、その特徴はなんだろうか?
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