はいふり批評11 はいふりをのぞく時、はいふりもまたこちらをのぞいているのだ

読者から私が期待するのは、読者が私の本の中に私の知らなかったことを読み取ってくれることです。ただし、それを私が期待できるのは、自分がまだ知らないことを読みたいと思っている読者だけなのです

ーーイタロ・カルヴィーノ

今まで私は伝統的批評として作者を中心に考える批評を、形式主義批評として作品そのものを中心に考える批評を取り扱った。しかし、作品に関わる登場人物でまだ取り扱っていない立場がある。そう、視聴者である。

今回は視聴者を中心とした批評を文学批評で言う「読者反応批評」と合わせて考えて行きたい。

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はいふり批評10 形式主義批評その2 はいふり三大アイロニー

「施肥が十分で栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど咲きません」

花は、言うまでもなく植物の繁殖器官、次の世代へ生命を受け継がせるための種子をつくる器官です。その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を幻覚できるほどの、エネルギーの充足状態が内部に生じるからでしょうか。

ーー吉野弘「茶の花おぼえがき」

以前はいふりのSF要素を考察した際に、RATtアイロニーが含まれた存在であることを書いていた。今回はその「アイロニー」を中心にはいふりを見ていこうと考えている。

はいふりには、かなり多くのアイロニーが含まれており、それを探してみるのも楽しみの一つかもしれない。

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はいふり批評9 交響曲<はいふり>

「天才」は美しいメロディーを思いついた後の綿密な音楽設計で、凡人にはっきりと差をつけるのである。

ーー三輪眞弘「コンピュータ・エイジの音楽理論

今までの批評は、構成や脚本に対してのものだった。しかし、今回の批評は少し視点を変えてみる。作品に使われている音楽、つまり劇伴(BGM)・OP・EDについての批評を行おうと思う。今回は主に劇伴に焦点を当てる。

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はいふり批評8 形式主義批評その1 ネコと一緒に見るはいふり

 ひとしきり、騒ぎが一層激しくにぎやかになったとき、タルーはふと足を止めた。暗い舗道の上を一つの影が軽快に走っていた。それは一匹の猫、春以来おそらく初めて見かけた猫だった。

ーーアルベール・カミュ「ペスト」

今回は形式主義批評・・・特に構造主義批評を用いてはいふりを見ていく。前回取り上げた吉田玲子へのインタビュー記事の中にはいふりにまつわる興味深い記載がある。

シナリオ先行で、そこからキャラクターをイメージして作っていただきました。

まずシナリオありきで作られたはいふりでは、それだけキャラクターの役割に焦点を置いている可能性がある。そのため、構造主義批評の格好の対象になりうる可能性を秘めているのである。

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はいふり批評7 吉田玲子と「視点」と「家族」

アンドレア「英雄のいない国は不幸だ!」

ガリレイ「英雄を必要とする国が不幸なんだ」

ーーベルトルト・ブレヒトガリレイの生涯」

今回は伝統的批評の一つである「伝記的批評」に手を付けていく。これはその名の通り、作品を作者の人生の反映として見る「伝記的」なアプローチである。

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はいふり批評6 ジャンル批評まとめ

 彼らの批評姿勢は、彼らを取り巻く世界の先入観と信念と分かちがたく結びついている。だから、これはなんら責められるべきことではない。

ーーテリー・イーグルトン「文学とは何か」

ここまで、はいふりを4つのジャンル、すなわち「お仕事系」「戦闘美少女系」「ミリタリー系」「サイエンス・フィクション(SF)」に分けて検討してみた。今回は最後の総評となる。

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はいふり批評5 巨大なSFと小さなRATt

おれが生を享けた憎むべき日よ!呪われた創造主よ!

おまえでさえ嫌って顔をそむけるような醜い怪物をどうしてつくったのだ?

――メアリ・シェリー「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」

はいふりに対して行うジャンル批評もこれで最後になる。ここではサイエンス・フィクション(SF)としてはいふりを見ていく。

果たして、はいふりはSF作品なのであろうか。SF作品である場合、その特徴はなんだろうか?
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